坂足を守る大鏡院さんの祭り

色川の西部に位置する坂足区。昭和初期には24戸ありましたが、今では3戸7人の住民が暮らしています。その坂足で昔からまつられている「大鏡院」の祭典が、4月28日に行われました。
大鏡院は集落上部の山中にまつられていますが、戦時中はサツマイモ畑が広がり、見晴らしもよかったそうです。石垣の上に4体の石碑が置かれ、大鏡院とその妻、付き人か子どものものではないかといわれています。坂足で生まれ育った下向晶子さんは「大鏡院さんは元禄時代の山伏僧やと聞いたけど、石碑には『貞享(じょうきょう)四年』(1687年)って書いとるよ」と話します。

毎年、旧暦3月15日が祭典日で、区民が集い、平穏無事を祈願します。また、厄年の者は餅を投げて厄払いをします。かつては雨ごいや病気平癒の祈願もされたそうです。下向さんいわく、「干ばつのとき、大鏡院さんに拝んで、肥を『雨どまりの滝』いうところへ流して、川を汚したら雨が降ったといわれたよ」とのこと。また、昔、色川で赤痢が流行し、大勢が亡くなったときに、坂足には広がらず、大鏡院さんが守ってくれたおかげだと信じられています。

28日は午前10時ごろ、現・旧住民8人が集まりました。石碑に餅や酒などを供え、全員で拍手を2拍して、般若心経を唱えます。その後、餅投げをして、最後に、お供え物の酒や、「護符」と呼ばれる赤飯を分けて食べました。厄を皆で分けて持ってもらうという意味があるそうです。また、いわれはわからなくなってしまいましたが、大鏡院に唐辛子を必ず供えています。

昔は和尚が来て祈祷し、色川東部や太田、小森川や田川からもたくさんの人が集まり、出店やばくちも盛んで、大変にぎわった祭りだったといいます。当時の様相は失われましたが、今も住民の手で大切に守り続けられています。

最近、下向さんはこの場所で「寛永通寶(かんえいつうほう)」と書かれた江戸時代の銭貨を拾いました。
「今まであんだけ掃除しても見たことなかったのに、不思議やね」
思わぬ大鏡院さんからの贈り物に、この村で生きてきた人々の息吹を感じ、かつてのにぎわいに思いをはせました。

大鏡院の石碑の前で祈祷する人々 少人数でも餅投げは盛り上がります