ヒロンボ調査日誌 三角綱引き解決編

三角綱引きの起源を探るため、まずは学校へ。過去の運動会のプログラムが残っているかもしれないと考えたが、答えは「NO」。

次は当時を知っていそうな年配の方々に話を聞きに。ところが、意外にも多くの方が「やったことがない」と答えた。割と最近始まったものなのか。核心に迫れない中、休憩で立ち寄った商店で大きなヒントをつかんだ。「籠の運動会で始まったんちゃうか」。

答えは籠にある。向かう途中、さらに核心に迫る話が。「考案したのは山本昌之先生」。突然のキーパーソン出現に、動揺を隠せない。情報元は、籠小学校廃校時に通っていた方。籠の運動会説がぐっと現実味を帯びた。

何とか山本先生を知る方と出会い、連絡先と住所を教えてもらう。どうやら先生は、当時籠に住んでおり、その方と夕食や風呂を共にしていたそうな。

また、別の方からは籠の運動会のプログラムを見せてもらう。「廃校後も地域に活気を残していくために始まった運動会。来ている全員、子どもも大人も関係なく楽しんでもらえるような競技を、地域、先生一緒になって考えた」という。

こうなると何としても山本先生に会わなければ。教えてもらった住所を頼りに車を走らせる。山を下りるのはいつぶりか。そんなことをつぶやいていると、海沿いの小さな集落にたどり着いた。先生の家を訪ねると、物腰の柔かそうな方が迎え入れてくれた。

ここで、三角綱引きは雑誌のアイデアを参考にしたことが明らかに。他にも、統廃合を巡って数年間、地域、先生が熱い議論を交わしたこと、廃校が決まり、それまでの歴史を皆で協力してしたためた冊子「ふるさとのあゆみ」が忘れられない記憶であること、など2時間ほど話を聞かせてくれた。「今でも籠の人はスーパーで会ったら声をかけてくれてありがたい。懐かしくていい思い出」と山本先生。地域と教師の距離が今よりもうんと近かったのだろう。三角綱引きの起源よりもずっと興味深い話が聞けた。冬の兆しと潮の香りを含んだ襟元を撫でる。