狩場刑部左衛門の例祭

「その昔、『一蹈鞴(ひとつだたら)』と呼ばれる一つ目・一本足の凶暴な盗賊が熊野の山中に住み、那智山の神宝を盗んだり、旅人を脅かした。当時、色川の樫原にいた狩場刑部左衛門(かりばぎょうぶざえもん)という勇士がこれを討伐することに成功し、その褒美として那智山から寺山三千町歩の立合山(共有林)を与えられた。刑部左衛門は寺山を色川郷十八ヶ村に譲り渡し、以後、その山林の恵みは末永く郷の助成になった・・・」
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600年ほども昔の人物の説話が、今も色川に伝え残され、その武勇と遺徳が色川の人々によって顕彰し続けられています。毎年11月1日、狩場刑部左衛門の例祭が、樫原区と狩場刑部左衛門遺徳顕彰会により、樫原狩場刑部左衛門神社で斎行されます。

今年も、台風の影響が心配されたものの、晴天に恵まれ、熊野那智大社の池本泰三宮司を迎えて神事が行われ、樫原区民や元区民、色川各区長・住民ら約25人が参拝しました。また、色川郷十八ヶ村の一部は現在の古座川町に属することから、古座川町長代理も参列しました。

神事の後は、恒例の餅まきが行われ、会食をします。顕彰会の久保逸郎会長が平成21年度の会計報告を行った後、今後の例祭の存続と顕彰会の体制について話し合われました。

戦前は約50世帯が暮らしていたという樫原。例祭でも、小学校の奉納相撲が行われるなど大変にぎわったそうです。しかし、過疎化が進み、現在は5世帯のみとなり、例祭は転出した元区民とともに何とか続けられています。

昭和30年に発足した顕彰会は、一時途絶えていましたが、樫原住民が狩場刑部左衛門の例祭をいつまで維持できるのか、厳しい局面を迎える中で、その受け皿としていつでも受け継ぐことができるよう、平成14年に復活しました。

怪物を倒し、色川に山林を寄付した狩場刑部左衛門の功績は、今や伝説と化していますが、何百年も、その恩恵に感謝し、遺徳をたたえ、まつり続けてきた人々の思いは、確かなものです。私たちは、これからも、その思いを守り継いでいくことができるのでしょうか。
(執筆:たき)

狩場刑部左衛門の石碑に参拝する元樫原住民