熊瀬川ゆかりの人々が集う会式

あたたかな日差しに恵まれた2月4日、熊瀬川区・両谷庵で会式が行われた。

会式に来た方の半分は、勝浦など、今熊瀬川には住んでいない方々。久しぶりに集う機会だったのか、集まった人たちは日向で談笑していた。「人が少なくなってきてしまったが、可能な限り続けたい」と松葉一隆さんはおっしゃった。

 和尚さんが到着すると、皆でお供えものを持って茶畑を通り、一字一石塔のある場所へ向かった。塔の正面には、「金光明最勝王経一字一石塔」「壽命陀羅尼 却温神咒」とある。

金光明最勝王経とは、仏教経典のひとつ。一字一石塔は、川の石を拾ってきて、ひとつの石に、お経の文字を一文字ずつ掘り、それを埋めてある。大きな災害や飢饉が起こったあとによく建てられるものだという。

塔の左の面には、「願主 京師 助志 房州」と彫られている。房州は現在の千葉県、京師は当時の都のことで、京都のこと。この塔を建てるのに関わった人物のよう。右の面には「維時天保14年3月建立」とある。千葉と京都、ここ色川と当時一体どんなつながりがあったのだろうか?町史を調べたらわかるかもしれないと、和尚さんはおっしゃった。

和尚さんがお経を唱える中、村が災害にみまわれることなく、村の人々が健康で長生きできるように願った。

儀式が終わると、再び茶畑の道を戻り、両谷庵の前にある、「法華塔」の前に。法華経は広く知られている一般的なお経で「こちらでは自分自身の安寧を祈りましょう」と和尚さん。最後に両谷庵の中に皆集まり、お経が唱えられた。

全ての行事を終えたあと、女性陣が朝から準備してくださったぜんざいを皆でたべる。お餅をたくさん焼いてくれていたので、みな次々におかわりをもらい、お腹がいっぱいになった。 

見知った人と久々に会い、元気な様子を確認したり、話をしたりすると、心が和むように思う。皆が健康で、毎日の生活を送っていること。そのことの幸せさ、ありがたさを改めて感じた。