3年ぶりに色川さんたち集う 第三回色川姓サミット

世の中には、「色川」が苗字の人がいる。色川さんたちは、もとをたどると色川の出。それも、平維盛を先祖とする清水姓の子孫であるという。昔、色川を出て、黒潮に乗って現在の茨城や東北に辿り着き、そこに根付いていった。

 その命が脈々と継がれ、関東を中心に、全国に色川さんがいる。そんな色川姓の方々が、先祖の土地である、この色川に来てもらおうという「色川姓サミット」の第三回目が今年11月17日に開催された。主催は色川姓サミット実行委員会(代表 田古良元昭)。

これまで2年ごとに開催されていた本サミット。今回は3年空いたが、今までとは異なるイベントが一つあった。大野区の色川神社の脇に建てられた石碑の除幕式である。「色川発祥の地」と彫られた石碑は、多くの方々の寄付で建てられた。ちなみに、色川という地名は全国他にはない。しかし現在地区内に残る、色川が付く地名は、大字の「口色川」のみだ。今後もここが色川という地名であったことが永くのこるよう、また、色川姓の方々のひとつのよりどころとなるよう思いが込められて建立された。

石碑の除幕式は朝9時から行われ、色川さんたち以外にも住民たちが集まった。

除幕式が終わると、色川小学校の講堂に移動。心温まる色川コーラスによる歓迎の合唱の後、今回特別にゲストとして来ていただいた、茨城県土浦市立博物館の学芸員・木塚久仁子さんによる講演。題は「次の世を読みとくー著作にみる国学者色川三中の思想」。江戸時代の国学者・色川三中(みなか)を研究してこられた木塚さん。三中の思想、詳細に書かれた日記の功績、そこから見える江戸時代の暮らしを話してくださった。色川三中のように、その土地で生き抜いた色川姓の方々がいたからこそ、今こうして色川さんたちと会うことが出来ていると実感する。

講演の後、大野の保郷会館で昼食。後呂秀子さん、山本愛子さんが茶粥とお茶、漬物を振る舞ってくださり、みなさん「おいしい!」と言って食べていた。

最後は色川と那智勝浦町をめぐるツアーへ。色川小学校を出発し、景色を見ながら小阪の棚田へ。今の休耕田が昔はみんな田んぼだったこと、小阪から歩いて色川中学校に通ったことなど、話が盛り上がる。次に妙法山阿弥陀寺へ行き、住職が阿弥陀寺の由来、熊野の信仰について話してくださった。その後、那智の瀧へ行き、最後は補陀落山寺へ。タイミングよく別のツアーの方と一緒になり、職員から15分ほどこのお寺についての話を聞かせていただいた。紀伊勝浦駅へ到着し、色川さんたちを見送る。参加者のみなさんは「一体どんな会なのかと思っていたが、みなさんにお会いできて本当によかった」「リタイアしたらもっと時間をとって色川に滞在したい」「今後もぜひ続けてほしい」と感想をいただいた。

今自分が生きているということは、先祖から脈々とつながれてきたものなのだということ。著者は色川さんではないけれど、改めてそんなことを感じた1日であった。