定住を希望される方々へ
色川地域振興推進委員会 副会長 原和男1
色川地域は、かつては3000人あった人口が今や3百数十人という小さな山間地域ですが、9つの集落から成り立っており、それぞれに長い歴史に裏打ちされた固有の文化を有しています。つい数十年前までは、集落に生まれ集落で暮らし集落で一生を終えることがごく普通のことでした。こういった地域は、国際化・グローバル化が叫ばれる今の時代の潮流にあっては、過疎地域のレッテルが張られ何か遅れた地域イメージをつけられてしまいましたが、「人の暮らし」が長い年月積み上げられてきた社会という意味では、相当に成熟した「山里文化」がそこには存在し続けています。
先人たちが山を切り開き長い年月をかけて築き上げてきた棚田、その周辺に広がる里山、そしてその奥に位置して大木が林立する奥山、そしてその山のヒダを縫うように流れる大小の川、これらが一体となって山里を生み出し人の暮らしが展開されています。循環型社会という言葉が最近よく聞かれるようになりましたが、過疎地といわれる地域では、それがごく自然な営みとして繰り広げられてきました。
そんな誇るべき「暮らしの場」を守りしっかりと次の世代に繋いでいきたい、そんな思いで地域が抱える様々な課題に住民一体となって取り組んでいます。
「Iターンの受け入れ」もその一環として行っています。地域の「これまで」の世界をしっかりと見つめ「これから」の世界を見定めていく、そんな仲間探しだと考えています。
過疎地域、特に色川地域のように周囲から隔絶された山間地域のような集落においては、「人のつながり」が地域のエネルギーの源です。色川地域では、私達という意味で「わがら」という言葉をよく使います。一人一人が「わがら」って言うときに集落に住むみんながイメージされている、そんなムードが何より大切です。そして挨拶代わりに「毎度おーきによー」とよく言い合います。お互い深い関わりで生き合ってきた営みから自然と発せられるこの言葉には、暖かい繋がりが詰まっています。
色川地域に限らずどの地域にも「地域らしさ」があります。その「地域らしさ」に引かれて、その先に「移住」があるとしたら、色川地域の「色川らしさ」にも一人でも多くの人にふれてもらって「移住」にまで至ってほしい、そう願わずにはいられません。
- 原和男(はらかずお) 1955年、兵庫県明石市出身。 1981年那智勝浦町色川地区に移住し、以後農業に従事。平成3年頃より本格的に地域活性化活動に取り組み始める。2006年より色川地域振興推進委員会会長。2017年より同副会長。 ↩︎