各地区で施餓鬼―お盆の伝統行事

お盆を迎え、色川の各地区で施餓鬼(せがき)が行われました。まず、11日に行われたのが、小阪、田垣内、口色川、12日には熊瀬川、大野、そして14日に南平野。法要の営み方はほぼ同じですが、地区それぞれに特徴があります。
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小阪区ではもともと16日に行われていましたが、現在は新仏と古仏の供養と合わせて11日に南泉寺で行われます。餓鬼に施すための棚「施餓鬼棚」を寺の内側に向かって設置し、そこにダイコ旗を立てた山盛りのご飯、シキミの枝を添えた水、豆や葉付のサトイモなど畑のもの、さいの目に切ったナスとコメをあわせたものに大きな箸などを置きます。ダイコ旗とは、和尚さんに作ってもらった五色の短冊を30センチほどの竹の先につけたもので、もらって帰って畑に挿しておくと作物に虫がつかないそうです。

棚の四方に飾られた竹それぞれに、和尚さんが書いた東西南北の白い旗とパンをくくりつけます。パンは、今は5つだけですが、昔は住民が多かったのでもっとたくさんつけていて、法要が終わった後にそれを取って帰るのが楽しみだったそうです。

寺の中には、まずは古仏の供養をするために白い布を敷いた焼香台に御霊具膳と抹香を置いておきます。9時に和尚さんが来て、施餓鬼について説明した後、古仏にお経をあげ、焼香し、施餓鬼棚の位牌にシキミで水をかけ箸でナスとコメを撒いて拝みます。続いて住民もそれに倣いました。次に古仏と供えた御霊具膳を下げ、初盆の家がそれぞれ持ってきた御霊具膳と位牌を据え、同様に新仏の供養をしました。

そして、昔この寺に住んでいた和尚さんの墓に移動し、皆でお参りしました。寺の下の土地は寺のための田んぼで、地下(じげ)の皆で世話したそうです。

その後、和尚さんは帰り、住民で念仏を唱えます。5人の代表が前に出て、たたき鐘を打ちながら読経。般若心経のほか、さまざまなお経を少しずつ上げ、最後に西国三十三所御詠歌を詠いました。終了後は、住民で一杯飲みながらの懇親会です。

田垣内区の施餓鬼は、11日10時に寶珠寺で開始。和尚さんが焼香棚、施餓鬼棚で焼香しお経を上げた後、住民が和尚さんのお経に合わせて、同様に焼香棚と施餓鬼棚にお参りします。そして、住民で般若心経、ご詠歌を上げ、最後に皆で食事をとります。食事はおまぜ、漬物、酢の物、煮物などで、前日から当日朝に用意したものです。

熊瀬川区では12日10時から両谷寺で行われました。熊施川の施餓鬼棚は、コメ、細かく刻んだナス、キュウリ、菜っ葉類を置き、コメは手で、そのほかは竹で作った箸で手向けます。また、両側にシキミ・ホオズキ・ミズハギを、棚の四隅に小さいハチクを立てます。焼香棚にも、シキミ・ホオズキ・ミズハギを両側に立て、左側に果物類、右側に野菜類を乗せた5段重ねの供物を置きます。新仏のために、サトイモの茎を三角に組み立て、その下に渋柿、ユリの根、キュウリ、ナス、豆、ミョウガを乗せた小さなお盆を置き、三角の上部にそうめんを糸で束ねて置きます。

まず、先祖の供養をしてから、新仏の「水(みず)施餓鬼供養」をします。今年、熊瀬川区には「二柱(ふたはしら)」(2人の新仏)ありました。先祖供養では、和尚さんのお経の後に、寺役、区長、その他区民の順に焼香します。次に、新仏も同様に供養し、その後、皆で食事をとります。そして午後1時半ごろから区民で念仏を唱えて終了しました。

大野区の施餓鬼は12日午後に楞厳寺で行われました。施餓鬼棚の前に祭壇が設置され、東西南北に竹が立てられ、御霊具膳、野菜、果物、山盛りのご飯などが供えられます。和尚さんの読経に続いて、住民が順番に祭壇の前で、細かく刻んだナス、コメを手向け、シキミの葉で水をかけます。また、新仏の供養では、西国三十三所御詠歌が詠われました。法要の後は、おまぜや煮物などの食事をとり、にぎやかなひと時を過しました。

 

田垣内区の施餓鬼棚。右から山のもの、そうめん、白米、海のものを供えます。手前には浄水とナスを刻んだもの

口色川区の施餓鬼は11日10時から宝泰寺で行われ、先祖の霊、新仏の供養をしました。施餓鬼棚には「三界万霊十方至聖」の牌を立て、刻んだナスとコメ、野菜、ホウズキ、そうめんなどが供えられました