じわりと増える、牛飼い

牛ブーム到来か

色川は今、「牛ブーム」だ。一昨年、口色川区の外山哲也さんが牛を飼い始め、そして今年同区へ移住した李相雲さんも。色川郵便局下の、原洋平さんの牛の数も増えた様子。「牛を見るとなごむ」と話す住民や、牛柄のTシャツを着ている人も見かける…。昔、色川では牛耕のために皆、牛を飼っていた。今なぜ牛を飼うのか。牛飼いは現在4軒。今月は、大野区で牛を飼っている白水節二さんと原洋平さんに話を伺った。

一番古株の白水さんは、色川に来た時から飼い始めて約35年。耕人舎実習中の乳牛の飼育係から始まり、約20年乳牛を飼う。ある時はジャージー種を島根から色川までハコバンで運んで導入。牛乳を搾り、バターも作った。その牛が病死し、一度はやめようとしたが、「和牛を飼ったら」と人に勧められ、再び牛を飼う。それから現在まで、和牛の繁殖農家として常に1頭飼ってきた。

「なぜ牛をやめないか。一番は草対策。色川は草がすごい。これを活用したいと思ってきた。自分のところと、ほかのところからも草を刈ってくる。電柵で囲って放牧すれば、そこの草は牛が食べてくれる。1頭だけ飼うのは、飼料を色川の草で自給するのに1頭が限界だから。また、もう一つの理由は、循環農業をやるのに、牛ふんは堆肥になるから」

今の牛のお腹には子がいる。その子牛の出荷が最後になるといううわさ。「でも、牛が今食べているところをただ草刈りするかと思うとね」。最後になるかは、まだわからないようだ。

その白水さんのところで生まれた子牛「ゆり」を譲り受け、飼い始めたのが最初という洋平さん。現在は親牛3頭、子牛3頭の計6頭。牛飼い歴は19歳の時から10年以上になる。「百姓養成塾」の塾生時代に、地元の人から牛耕の話を聞いて興味を持つ。塾で牛を飼い、牛担当に。地元の人に能入れを教えてもらい、つい2、3年前までゆりは耕牛として活躍したが、高齢になり引退。「牛耕は、時間的に余裕があればまたやりたい」。

楽しいことは?「子牛が生まれると、やっぱりうれしい。でも飼うことが当たり前なので、仕事の一部」。今後は「最低でも親牛5頭は飼いたい。繁殖農家として年4回の牛のせりに出荷し、事業を成り立たせ、また、熊野牛の推進のために」と意欲的。さらに牛の数が増えそうだ。