「ハイシッ」
5月中旬、山里の棚田に牛を操る声が響いています。掛け声の主は、色川で農業を営む原洋平さん(21)。3年前から相棒の牛・ユリを飼い始め、牛耕の復活に取り組んでいます。
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かつては日本の農村風景につきものだった牛。色川でも昭和30年代ごろまで、農家は牛を飼い、牛で田んぼを耕したり、荷物を運搬したりしていました。毎日の牛の餌の草刈りや、牛ふんの堆肥作り、田植え後の田かき競争など、50年ほど前まで、牛は農村の暮らしの一部でしたが、農業機械の導入とともに、すべて消えてしまいました。
ですが、牛を飼わなくなっても、牛耕の道具は残っていました。原さんは、そうした農家から道具を譲り受け、お年寄りに話を聞いて、牛耕を試み始めました。
この日は、水を入れた田んぼの土を「からすき」で砕いて水と混ぜてから、「かいが」でさらに土を細かく砕いてならす代かきの作業。色川の田かき名人・中西忠治さん(85)が指導しにきてくれました。何十年ぶりかの牛耕ですが、「覚えとるよ。子どもの時分からしやるもの」と目を細めます。牛耕に関心を持つ色川在住の若者も集まりました。
まず「うなぐら」や「しりかせ」といった牛に付ける道具をシュロの縄でつなぎ直し、からすきを付けて、いざ作業。が、数メートル進んだ途端、「ぶちっ」とシュロ縄が切れました。道具同様、シュロ縄も古くて切れやすくなっているようです。そんな縄も中西さんによってあっという間に付け替えられ、ほつれた部分もしっかりと編み直されます。何十年もブランクがあるとは思えないほど、鮮やかな手さばきです。
何度か縄が切れては直しを繰り返しましたが、かき方や道具の持ち方など指導を受けながらからすきの作業を終えて、かいがに付け替え、代かきへ。「鼻取り」の若者がユリを先導し、原さんが後ろからかいがを持ち、細長い田んぼを何往復もしてならしていきます。中西さんはその様子をうれしそうに眺めながら「若かったら、わがも牛もろてやりたいよ」と笑いました。
4月から色川で百姓の暮らしを学んでいる合谷晶さんは初めての牛耕体験に、「牛耕はのんびりした感じだと思っていたけれど、牛がパワフルで勢いが強くて驚いた」とのこと。
原さんは「まだまだやね。もっといろいろ教えてもらわないと」と言いますが、「機械でかくのと時間はそんなに変わらない。残りの田んぼの代かきも全部、ユリでやりたい」と張り切ります。使っていない牛耕の道具があれば譲ってほしいそうです。
牛耕の時代に戻ることはもうないかもしれません。それでも、消えゆく農村の暮らしを受け継ごうとする若者たちの存在が、新しい時代の風を起こす予感がします。
(執筆:たき)
棚田で田植え&牛耕体験!
かいがを付けて代かきをする原さんとユリ
巧みな手つきでシュロ縄を結ぶ中西さん