田垣内で厄払いの行事

田垣内区では厄払いの行事が、1月24日に籠の子安地蔵で、25日に下地にある開山神社で行われ、田垣内にゆかりのある厄年の人たちとその親族、田垣内区民が集まりました。
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籠の子安地蔵は、400年ほど前に田垣内発祥の際に建立されたといわれ、毎月24日に「子宝」「安産」の祈祷が行われることから、遠方からお参りに来る人もいます。

24日は、参加者全員で読経した後、厄年の者とその親族が用意したお神酒と赤飯を、厄を皆に持ってもらうという意味で、皆で少しずついただきました。その後、恒例の「餅ほり」が行われました。子安地蔵は山中にあるため、投げた餅が谷のほうへ落ちていくことも。そんな餅も皆で追いかけて取り合い、賑やかな雰囲気の中、皆で厄を分け合いました。

翌25日の開山神社では、田垣内にゆかりのある勝浦在住の住職がお経を唱えた後、参加者全員で榊を奉納しました。開山神社は、田垣内で鉱山師・庄屋だった白川清水家の初代と「鉱山神」をまつったのが始まりとされているところです。現在の新祠は、明治13年に建てられました。

ここでも子安地蔵と同様、お神酒と赤飯を皆で分け合った後、厄餅の餅ほりが行われました。「それこっちきたぞ!」「あっち行ったぞ!」と、普段はゆっくりと動くお年寄りも、このときばかりは素早い身のこなしで、心から楽しんでいる様子。

「昔はよくこの神社で遊んだよ」「こうやって集まって話をしたり、顔を合わせるのが毎回楽しみ」と皆、口をそろえます。

色川の各地区で行われる、他人の厄を同じ集落の人たちが分け合うこれらの行事。地域のつながりは、このようにして大切に、脈々と受け継がれていきます。

子安地蔵での餅ほり。今年は4人が厄餅を投げました

開山神社で読経を聞く田垣内の住民たち