籠から那智山へ、昔の街道を歩く

「ここは小学校への道。放課後や土曜日に、ほうきを持って皆で掃除したもんや」
お年寄りの声に、若者たちが耳を傾けています。7月23日に開催された、色川の昔の道を歩く企画の一コマです。
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企画者は、熊野に通い続ける北海道在住の写真家、栂嶺(つがみね)レイさん。車道ができる以前、人々が歩いて移動していたころの生活道を好んで撮影しています。古い地図を頼りに実際に道を歩く一方、地域の年長者への聞き取りを行い、かつての人々の往来を調査しています。

今回は、栂嶺さんが色川の籠で「昔は勝浦へ降りるのに、那智山まで歩いてバスに乗った」と聞いたことから企画。ルートは、籠から大野、笠松を経由して那智高原公園まで。色川住民はもちろん、古座奥や熊野川町の人々も歩いた那智街道の一部です。

地元住民の山本邦雄さん(81)を案内役に、関心を持った色川在住・滞在中の若者4人、色川小学校の児童2人を加え、計8人で歩くことに。

山本さんは、杖代わりの傘で落ちている枝を払いつつ先導。歩きながら参加者の質問に丁寧に答え、この街道を通って参考書を買いに行ったり、親戚の家に遊びに行ったりした思い出を語りました。

かつては同じルートを2時間弱で歩いたといいますが、この日は昼休憩も含め、5時間近くかかりました。参加した色川小学校5年の菊地実奈さんは「疲れたけど面白かった」、籠に長期滞在中の柳原さつきさんは「道標やお地蔵さんもまだ残っている。せっかくの道なので、荒らさないようどうにか守るすべを考えたい」と話しました。

栂嶺さんによれば、熊野は全国的に見ても珍しいほど昔の道がよく保存されているそうです。先人が切り拓き、管理し、長い歴史を通じて多くの人が踏みしめてきた道。これらの道がこの先どうなるかは、今地域に住む一人一人にかかっているのでしょう。
(執筆:スノッチ)

案内役の山本さん(中央)の話を聞く参加者たち