お大師様の日に厄払い

梅の花がほころび始めた色川で、2月20日に小阪区の伝統行事「大師講」が、21日に「水大師」のお祭りが行われました。2月21日は、旧暦の正月後、弘法大師の最初の月命日に当たり、小阪では昔から、この縁日にあわせて、歳祝い、厄払いの行事が営まれています。

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大師講は、20日午後6時から小阪集会所で始まりました。住民が集まると、まず今年の厄年、歳祝いに当たる住民の名前が読み上げられ、皆で般若心経を唱え、「弘法大師詠歌」「弘法大師和讃」を歌いました。その後、刺身やおつまみが振る舞われ、皆でささやかにお酒やお茶を飲み交わし、1時間半ほどで講会は終わりました。

翌21日は10時から、小阪区の南泉寺の脇に置かれているお大師様をまつるお堂で、妙法山阿弥陀寺の住職を迎えて、水大師祭が行われました。お堂の前のわずかな敷地いっぱいに集まった住民は、堂内で読経する住職とともに、区の1年の無事と家内安全、五穀豊穣を祈願しました。

この大師堂は、昔は「マイダリゴ」と呼ばれる山頂に建てられていました。山頂にもかかわらず、水が絶えることなく湧き出ており、弘法大師ゆかりの地ともいわれていますが、山中の不便な場所であるために、30年ほど前に現在の場所へ移されました。

お堂での祈祷の後は、寺の境内で、厄払い・歳祝いの「餅ほり」が行われました。住職の「行くぞ!」というかけ声を合図に、盛大に餅がまかれると、待ちかねた人々は、我先にと餅に飛びつき、頭に大きな餅が当たっても笑顔で餅を拾い続けていました。

餅ほりが終わると行事は終了しますが、昔はその後も住民が残り、お供えの酒がなくなるまで、いろいろな話をして花を咲かせていたそうです。この日は、お年寄りや寺役など数人が残り、そんな昔話を聞かせてくれました。今ではそうした機会は減ってしまいましたが、行事とともに、世代を超えて酒を交わしながら皆で過ごす時間が、むらの伝統を次へつないでいく大切な役割を果たしていたと思われます。
(執筆:たき)

大師堂の前でお参りする住民たち

餅ほりでにぎわう境内