檜曽原で昔ながらの溝普請

「トン、トン、トン」「パン、パン、パン」
3月下旬、はるかに太平洋を望む山上の棚田に、赤土をたたく音が響いています。小柄ながら、しっかりと杵を溝に打ちつけているのは、潮崎君子さん(80)。南平野地区檜曽原(ひそはら)で約4反の田んぼを持っています。

春の訪れとともに、田に水を引く溝を整える「溝普請」が、色川の各地区で始まりました。コンクリートやパイプで水路が整備された現在の溝普請は、たまったごみや泥を除去する作業ですが、檜曽原では、赤土で溝を補修する、昔ながらの作業が行われています。
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「昔は節句時分に溝普請したけど、田植えが早なって、彼岸明けたらするようになったねぇ」
そう話す君子さんは、1カ月前に、50年以上連れ添った夫・衛さんに先立たれたばかり。だが、今年もコメを作ろうと決めました。

昔は5、6軒が共同で作業したそうですが、数年前から隣の蜷川勝彦さん・ヨシ子さん夫妻の2軒だけになった。高齢化や米価の下落などで、一人、また一人と、コメ作りをやめてしまいましたが、君子さんは「田は売られん、荒らされん」と言う衛さんと作り続けてきました。

衛さんが亡くなり、今年は3人で、総延長3キロはあるという3本の溝を数日間かけて補修します。まず、溝を掃除した後、山の土取り場から赤土を削り取って軽トラで運び、一輪車に土を移して溝が壊れているところに運び入れます。くわで土をならし、杵で土をたたいてのばした後、さらに「こて」でたたいて固めます。「言うは易く行うは難し」で、実際にやってみると、かなりの重労働です。

「一輪車や車がない時代は、天秤棒で土を肩に担うて運んだんやで。今は上流のほうをパイプにしたから、だいぶ楽になったよ」と言いますが、昨年の大型台風18号の被害で、木や土砂が崩れ、修復が必要な溝が多く、まるで土木工事のようです。しかし、この溝普請をしなければ、コメ作りは始まりません。

「年寄りから、こんなしてせなあかんと言われたねぇ」
そんな思い出話をしながら、手際よく溝を直す君子さん。お年寄りから仕事を一つ一つ教えてもらったそうですが、それを受け継ぐ若者が檜曽原にはもういません。先祖代々守られてきた山上の棚田に危機が迫っています。

 

山の土取り場から赤土を取ります

杵で赤土をたたく君子さんと、一輪車で運び入れる蜷川さん

杵で赤土をたたいてのばした後、こてでたたいて固めます

台風18号の被害で、斜面が崩れ、溝も破壊されました