歩いて知る色川の歴史

 前号の狩場刑部左衛門ゆかりの地探索に続き、2〜3月もいくつかの色川ウォーキングが有志により行われた。発端は、色川を語り継ぐ会(田古良元昭会長)の「色川の史跡や歴史を地図に残す」という取り組み。この活動の聞き取りや現地調査に参加した住民らの「行ってみたい!」の声が行動につながった。

 小阪から色川中学校への通学路を歩いたのは、定住1年の小森あすなさん。元々ウォーキングが好きな小森さんは、自分が住む土地を知りたい思いも相まって、近所の松木繁明さんに道案内を依頼。松木さんは「子どもも歩くなら」と、西浦完治さんも誘い、引率だけでなく、事前に道の確認と草刈りを実施。

 2月26日の当日は、興味のある親子にも声を掛け、20人以上が参加。苅屋好信さんも加勢し、約2時間で歩き切った。ママたちからは「これから授業なんて、ありえな〜い」の声。地元の人の足腰の強さの由来を身を持って感じたようだ。午後は、田古良さんに「くぐと」(小鳥を捕まえる仕掛け)の作り方を教えてもらう会も催された。わんぱくに思える色川の子供達も、地元のおじさん達の前では現代っ子。あるものを工夫する知恵を身を持って感じただろうか?  この企画を引っ張った小森さんに後日談を尋ねると、「お忙しい中、報酬があるわけでもないのに、こんなに手を貸してくださるなんて、感謝の一言しかない」と心を込めて語った。

 変わって、田垣内区からの通学路を案内してくれたのは、倉本洋光さん。案内を依頼したところ、倉本さんも事前に道を歩きやすくしてくれていた。2月14日、色川を語り継ぐ会の記録を担う地域おこし協力隊の家村直宏さんと事務局の橋本茜さんとで、子ども向けの歩き企画に向け、事前練習。ひょいひょいと先を歩く倉本さんから、当時の景色や通学エピソードを聞きながら、あっという間に大野へ。

 今は山にしか見えない場所が、たった40〜50年前には日常の場だったと実感。とはいえ、日常から遠のいても、思いを寄せ、草刈りや道普請を続けているからこそ、道が道として未だある。これからは?色川で暮らしていく人々にとって現実的な課題だ。同じく、田垣内区から熊瀬川に通る「木馬道」を3月6日に歩いたのは、田垣内出身の竹原清次さん。「母親と焚き物をひらいに行った道を歩いてみたい」という思いに、木馬道に興味を持つ若手が便乗。この道は今の道路が発達する以前、明治後半から昭和初期まで使われた林業道。丸太を運ぶソリ・木馬を滑らす道だ。既に崩れている所も多かったが、軽トラが走れるほどの道幅があり、随分と高い石積みの跡も見られた。

 途中、庚申さんに手を合わせたり、住民と挨拶を交わす道中、「昔、親父が山から持って帰ってくる弁当には、必ず一口のご飯が残っていた。山の香りが移ったそのご飯を食べるのが楽しみやった」などと、当時を思い出す竹原さん。ダル(山で取り憑かれる妖怪)対策はお父さんからしっかり引き継ぎ、手ぶら参加の若手に飴を配ってくれた。

 そして、前号でリベンジを伝えた狩場刑部左衛門の屋敷跡探索は3月1日に果たされた。この日は色川を語り継ぐ会が制作する史跡・景勝の看板(過疎地域等集落ネットワーク圏形成支援事業による)の設置確認も兼ね、狩場刑部左衛門遺徳顕彰会の須川政明会長や樫原区長の井上百合子さんとの交流も。今年3年ぶりの開催が予定される慰霊祭の盛り上がりにつながりそうだ。

 春分も過ぎれば、マダニやハビも動き出し、田んぼも気忙しい。この冬、歩けなかったところは、また次の冬のお楽しみとなった。