御影供の思い出

弘法大師の命日をしのぶ法要「御影供」が妙法山阿弥陀寺で4月20・21日に行われました。色川のお年寄りたちが「子どものときに、学校の遠足で行ったよ」と口をそろえる御影供。21日、何十年ぶりかに行くという住民の方に同行させていただきました。–pagebreak–

昔は皆歩いて行きましたが、今では車で15分ほどで着きます。御影供の日は雨が多いといわれますが、この日は気持ちのよい晴天に恵まれました。先祖供養も行われるこの日は、多くの参拝者が訪れていましたが、お年寄りの姿が目立ちます。昔は子どももたくさん来ていたそうです。

参拝者が多いとはいえ、境内は穏やかな雰囲気で、「昔は出店がいっぱい並んで、にぎわっていた」と言いますが、その様子を想像するのが難しいほど。当時、子どもたちの楽しみは、わずかな小遣いでお菓子を買うことだったそうですが、金魚やショウガの種、農具、牛耕で使うシュロ縄なども売りに来ていたといいます。参拝者には百姓が多かったのでしょう。

本堂をお参りした後、御影供のときに開帳される大師堂へ。御堂へ下りる石畳沿いには、大きな木が並び木陰を作っています。「40年前には大雲取にもこんな木がようけあっったよ」と教えてくれました。

大師堂の横には、「お髪上げ」の遺髪や遺骨を納めた納骨髪堂があり、皆でお参りします。「色川の人は亡くなったらここに納めてもらうんやで」と言います。

参拝後、遠足に来た子どもたちが弁当を食べたという場所へ行くと、今でもそこは、海を見晴らせる広場になっていました。「握り飯だけの弁当やったけど、それでも楽しみやったね」となつかしがります。

広場の手前には、日露・大東亜戦争の戦没者慰霊碑があり、色川の戦没者の名前が刻まれています。毎年この日に遺族の人たちが集まり、慰霊祭が行われます。

かつてのにぎわいはなくなってしまいましたが、色川の人たちにとって、この御影供が、昔も今も変わらず、大切な行事の一つであることがうかがえました。
(執筆:たき)

昔は出店が並んだという参道