西部に受け継がれる花愛でる心

 暦の上では秋とはいえ、暑さが続く8月。田垣内区籠に、人々の目を涼ませる景色がある。菊地清子さんが育てる朝顔だ。

通り沿いの畑から妙法山を見晴らす自宅前まで、澄んだ青色の花が次々と開いていく。この色が好きで、ずっとこれだけを育てているという。昔ながらの品種で、苗をもらいに来る人もいるとか。調べてみると、日本古来の品種に最も近いとされる「北京天壇」に似ている。そうだとすれば、今ではなかなか手に入らない品種だが、いつごろから育て始めたかは記憶になく、今ではこぼれ種で育っている。

ところで、籠小学校の統合を受け、昭和54年に西部地区の住民によって刊行された「ふるさとのあゆみ」には、校長先生が生徒に朝顔を栽培させる話がいくつか載っている。昭和15年から4年間着任していた城道校長は「花の校長」と呼ばれ、熱心な指導を、籠の篠﨑光男さんも覚えていた。時は終戦間近。二宮尊徳像の供出や、児童による木炭の運搬や樫の実の採集・供出なども記録されている時代に、園芸の指導に力を入れた想いが偲ばれる。

この朝顔が引き継がれてきた可能性は?菊地さんは学校で朝顔を育てた記憶はないと言う。そこで、同誌に寄稿している久保元勇さんに、当時栽培していた花の色を尋ねた。「普通の紫のやったよ」と元勇さん。菊地さんの写真の見せると「こんなんだったように思うわ」とのこと。確かめる術はないが、当時の種から咲き続けたのなら、住民にとって、品種以上に貴重な花だ。

清子さんは毎朝、お孫さんと開花数を記録していたそうだ。「子どもには、花を育てることを教えるとええよ」。お孫さんは大きくなったが、今では、近所の子どもたちが育てている。仁木萌明ちゃんも、こぼれ種から咲いた花を見せてくれた。花を育てる心は引き継がれているようだ。